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●いろいろな幸せなこと。心痛いこと。ひびダラダラなこと。NYで起きたこと。

ニューヨークはなにかと劇的です。オモシロイこと、起きます。けれど、心痛いことも沢山起きます。とは言っても住んでいるわけで、日常ダラダラと続いていたり、それでも、ハッと揺さぶられる街です。NYはいろいろ起きやすい街なのです。

●September 11th 2001 (01)

2000年に突入してから10年経ってしまいました。早い。

自分が20歳くらいだったころ、「学生運動で大学が1年休みになったから世界旅行をした」、とか、「キャロルは最高だった」とか言われても「キャロルって人参みたーい」ってな感じで、70年代に”若かった”という人が、ひどく年上に感じましたが、2010年になってしまえば、70年代を懐かしがる人なんてお爺ちゃん、80年代どころか、90年代のことでさえ、「ジュリアナ東京?それは温泉スパ・リゾートみたいなやつですか?」、「ダイアナ妃とか言われても子供だったから、生きてて動いてるのは覚えてないっす」という方々とお仕事したりする時代で、10年って年齢があがるごとに、ますます重みのあるものになっております。(キャロルが人参っぽい、というのは本気でそう思ったんですけれどもね、ええ、キャロットだろ、っていう突っ込み以前の問題で、なんかそう思ってしまったお陰で、未だに矢沢永吉氏に対して、なんとなく”人参”というか”オレンジ色の人”とか思ってしまいます。きっとそういう方は他にもいると密かに信じてます。)

そして、ここ10年を振り返ってニューヨークのことで、10大ニュースを考えてみようかなと思うと、やはり最初に出てくるのは2001年の9月11日のことです。

同時多発テロ。ワールドトレードセンターの倒壊。

必要以上に過敏に反応するつもりがなくても、いまだグランド・ゼロに近づくと心が落ち着かなくなり、いたたまれない思いに駆られます。グランド・ゼロに行って、涙をおさえられるようになるのには、何年かかったでしょうか。泣かないで人に話が出来る様になったのに何年かかったでしょうか。いまだに写真でも煙をあげているワールドトレードセンターを見ると、ざわざわとした気持ちになり、必要がないのであればあまり長く見ていたくありません。動画は観たくありません。直接の友人は皆無事だった私でさえ、そういう状態でした。家族を亡くされた方々の衝撃が癒されるのには相当な時間がかかることと思います。

恐らく、ニューヨークに住んでいない方々でも、生中継を通して精神的にただならぬショックを受けた方は多いでしょう。

戦争も戦争の傷跡も知らず、戦地や紛争地に行った事もなく、平和一色に思えたニューヨークで、日常がある日突然ひっくり返るというのは、本当にダメージが強かった。

私は、9月12日の朝、起きた時に、9月11日のことが、全く思い出せませんでした。

これには本当に驚きました。

思い出せない。まっしろ。

よく「ショックなことがあると記憶を失う」という話を、とてもショックな出来事を経験した方から聞いたり、精神分析系の本で学んだり、推理小説で読んだりすることはあっても、有り難いことに自分の肌で感じるようなことは私には起きた事がありませんでした。

本当に、思い出そうと思っても思い出せないのです。

なにか大変なことが起きたのはわかっているのですね。「昨日何か凄い事が、凄い嫌な哀しい事が起きた」というのはわかっている。ものすごい不安な気持ちとともに「あれ、なんだっけ?あれ?あれ、なんだっけ?」と焦って思い出そうとするけれど、なにも出て来ない。私の場合は、30分くらいで全部思い出す事が出来ましたが、精神的な打撃が強ければ強いほど思い出す時間が長くなって、”精神が耐えられない”と脳が判断した場合は、“事件”を思い出す事なく生きて行くしかなくなるのでしょうね。人間の機能は本当に高い。忘れることが出来なければ人はすぐに気が狂ってしまうんでしょう。

でも、30分でも記憶を失ったこと自体にもショックを受けてしまったことは忘れられません。あの日、事件を知る前に異常に走り回っているパトカーと消防車のサイレンをベッドの中でウルサく思ったこと、事件を知ってカメラを持って部屋を飛び出たこと、街を歩きながら途方に暮れてしまったこと、あらゆる感情が飛び交っていたあの街の状態、呆然と動けなくなっていた人々、煙に巻かれたダウンタウン、みごとに晴れていた真っ青な空、車が一切走っていないタイムズ・スクエアを、灯りの消えた真っ暗なブロードウェイ、あらゆる場所に貼られてた人探しのメモ、軍隊の車、いろんなことを忘れることは出来ません。

一体、何が起きたのか。

これから、アメリカは何処へ向かって行くのか?テロリスト達は、本気で、こんなことをした結果で自分たちの理想の国家を手に入れられると思っているのか?

あのテロ以降のアメリカの対応策は、長い歴史の中で、どのように形を変え、テロリストと世界のバランスは、どのようになっていくのでしょうか。

また10年後に紛争のない世界になっているとは思いません。

ただ、ただただ、少しでも、偏っていない教育を受けられる子供が増え、少しでも、理不尽な死を受け入れなくてはいけない絶望が減る事を祈ります。

ピース。
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4日後。9/15に倒壊したワールドトレードセンター近くに住む友人のお見舞いに行く途中にあったボッコボコになった警察のトラック。脇のパーキングメーターは根元からへし折れていました。
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警察や消防の方々に食物やシャワーを「タダでどうぞ」という内容の張り紙が、いたる所にありました。これは同じ被災地区にあったエステサロン。
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煙は何ヶ月も何ヶ月も、何ヶ月も残ってました。

●September 11th 2001 (02)

9/11からの事を少しずつ書いていきます。